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『前へ』 稲垣組、最後の闘い 

2011/11/06

 よく闘った。ノーサイド後の円陣、絶叫のような嗚咽がやむことはなかった。あと一歩、本当にあと一歩。打倒桐蔭を目標に掲げ、夢半ばで稲垣組の終焉を告げるノーサイドの笛が鳴り響いた。最終スコア「10-14」。ノーサイド地点、ゴール前15m。稲垣組の闘いが終わった。
 
 逆境、試練。幸運と順風に恵まれた関東大会出場以降、これでもかと稲垣組に降りかかった。どれだけ練習強度を落としても、不運な骨折が未解明の伝染病のように続いた。秋に入ってからもFW随一の突破役・ヨウが大きな怪我を負い離脱。そして東海大相模戦の僅か4日前、絶対的エースでありロングキッカーであり、戦術において不可欠な中軸だったダイキが負傷離脱した。

 強力モール一辺倒だった関東大会を終え、多彩なバリエーションと相手に応じたアタック戦法の変化を磨いた。4つの異なる戦法を習得し、相模戦と桐光戦で完璧に使い分けた。しかし、相模戦のために準備した戦法は、ダイキを失うことでモール勝負というプランのみに絞らざるを得なかった。9人FW、リョウヘイはSH兼FBの二役という未知のスクランブル布陣。
  
 スクラムの優位を生かして先制トライを奪うと、前半は10-7のリードで折り返す。しかし後半ワントライを奪われると「10-14」のまま、激しい攻防が続いた。
 エリートをこれでもかと揃えた相模ならば、モール勝負にファイトしてくれると期待した。しかし前半20分までにモールで優位に立つと、以降はなかなかファイトしてくれなくなった。「タックルせず=モール不成立」、モールに対して勝負してもらえず、アクシデンタルオフサイドを繰り返した。不成立狙い一辺倒なら、次の戦法は準備していた。しかし微妙なバランスで、時々ファイト(タックル=モール成立)、時々ノーファイト不成立狙い。戦法を変化させる決断ができないまま、時間だけが進んだ。最後を告げる笛もアクシデンタルオフサイド。我慢と心理戦で、先に焦ってしまった。

 
 3回戦で136点スコアした相模の攻撃は、タックルの嵐で見事に寸断した。SHとしてラインDFを整備し、数多くのピンチを自らのタックルでも救い続けてきたリョウヘイは、DF時のみFBに下がった。リョウヘイの整備がなくとも、一人ひとりの判断でDF網に穴を作らず、何度でも何度でも守り続けた。ケンタやマサシは火の出るようなタックルで相手をなぎ倒した。スクラムとモールに全身全霊を振り注いでいるはずのコッペら前5人は執念のカバーDFで何度もピンチの芽をふさいだ。
 途中、偶然のプレーがシンビンとなり14人で戦う時間もあった。それでも許したトライはキックチャージや反則からゴール前に迫られ、FWの近場ゴリゴリの末に割られた2つのみ。60分間、DFラインが破綻してのトライは与えなかった。

 
 
 たった8名、うち経験者はたった2名。体育の授業で5がつく運動能力は誰にもありはしない。しかしどこまでも誠実、どこまでも愚直で真摯。そんな稲垣組らしい最後の試合。不恰好な愚直を貫く。誇りを胸に、伝統を背負い、感謝を力に、笑顔を忘れず、前へ前へ戦い抜いた。戦い終えたグランド裏、3年生一人ひとりが口を開いた。胸が張り裂けそうな想い、嗚咽と絶叫で言葉にならなかった。感謝の気持ちを心の底から振り絞った。


 
 
 司令塔もエースもキッカーも突破役も調整役も、チームの華はすべて2年生だった。そして、土も水も肥料も、時には太陽も、すべて3年生だった。不器用で口下手で泥まみれのキャプテン・タイチが率いた稲垣組。横高ラグビーの伝統を堂々と継承し、大きな感動と誇り、何より後輩たちの覚悟と意志、そんな大きな宝物を部に残し、1年間の戦いを終えた。
 2011年11月3日、稲垣組 引退。毎日毎日、バカになるほどよく笑った日々だった。



 
 稲垣組を応援したくださった皆様、支え続けてくれた保護者・OBの皆様、まことにありがとうございました。おかげさまで稲垣組は、不器用で愚直で、最高にかっこいい姿で終わることができました。前へ前へと闘い続けた稲垣組のおかげで、新チーム「岩田組」は翌日の朝練から動き始めました。今後とも横高ラグビー部をどうぞ宜しくお願い致します。






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