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津田組、3年間のノーサイド

2014/10/29

 10月26日、慶應高校グランド。秋の空に津田組3年間のノーサイドの笛が鳴り渡った。地面に崩れ落ちる3年生。勝てると信じて臨んだ法政二高戦は、残酷なスコアで終わってしまった。

 春と同じ、5回やって1回勝てるかという力差は、今回も確かに存在した。春はそれでもスリムな勝機を手繰り寄せ、紙一重で大番狂わせを起こした。今回も同様の勝機はあった。しかし、5-7で迎えた後半10分の大チャンスを逃すと、痛恨のミスを連続し、5-14の苦しい点差になった。逆転可能なスコアだったが、焦って判断を誤った。5-21。この時点で、ゲームは決した。

 ラスト5分、自陣インゴール付近からでも攻める以外に選択肢はなかった。無理に攻めたボールが乱れ、相手の手に入って連続独走トライ。ラスト15分に28点を失い「5-35」で、終焉の笛が鳴った。

 この仲間でもうラグビーができないということ、後輩たちにシード権を失った状態で代を引き継ぐことになってしまったこと、大好きな先輩たちに何一つ恩返しできず敗因を作ってしまったこと。

 認めたくない現実、目を背けたくなる現実。悔しさと怒りと悲しみが入り混じり、嗚咽となって響いた。

 悲劇の中にも、救いと考えられる部分はある。

 まず何より、法政が素晴らしかったということ。この3年間、特にこの半年間、打倒横須賀をどこよりも意識し、素晴らしい指導者と素晴らしい選手たちが、きっと最高の準備をしてきた。強かった。完敗だった。振る舞いなども尊敬できる素晴らしいチームだった。そんな今年の法政と激闘を演じて破れたことは、悔しい気持ちはあるが受け入れることもできる。 

 もう一つは、このゲームの分岐となるミスは、ことごとく2年生が犯したということだ。もう取り返しはつかないが、2年生にはまだ努力できる日々がある。自分たちの力不足で失ったシード権、津田組には悪いが取り戻すチャンスがあと1年ある。



 津田組の歩んだ日々は立派だった。経験者は3名、ほとんどが体育で成績「3」程度の運動能力。分かりやすく厳しい人材で、他の公立にも勝てないところからスタートした。それでも津田キャプテンの人格が如く、愚直に実直に努力を重ねた。先輩方から引き継いだ「笑い」も大切にした。

 1年次にあれほどの力があった横須賀総合を完璧に上回り、ベスト4と関東大会出場まで手にした。最後は法政という素晴らしいライバルに敗れたものの、その歩んだ日々は疑いなく大きな賞賛に値する。自分たちを「ブサイク集団」と笑い飛ばす津田組は、一見して不恰好で、凝視すると最高にかっこよかった。

 最後の大会で結果は伴わなかったが、観ている多くの人が心を打たれる熱い闘いだった。後輩もOBも保護者も友人たちも、津田組の歩んだ日々に心から拍手を送っていることだろう。

 

 津田組の皆さん、3年間本当にお疲れ様でした。津田組は心から誇りに思える素晴らしい代でした。胸を張り、人生の次のステージ、次の闘いに全力を尽くしてください!

 保護者の皆様、3年間、ご理解ご支援、まことにありがとうございました。力不足の私を温かく見守ってくださったこと、心から感謝申し上げます。人生は続きます。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。



 10月28日、敗戦の翌々日、横須賀高校ラグビー部・「宇野組」が始動しました。また闘いの日々が始まりました。変わらぬ応援、どうぞ宜しくお願い致します!

  


 

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